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本・寺の紹介 | 佐賀の歴史を知りたい | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山形県天童市 | 「ものがたり てんどうの歴史」 天童市発行 |
最上川(古川)近くの生活の跡や宮城県座散乱木遺跡などから、昔東北地方は 日本の文化の最もすすんだところで、西日本へ大きな影響を及ぼしました。小路の 喜太郎稲荷神社側の舞鶴山、高畠町の日向洞くつ、高木の石田遺跡や原口遺跡、 上荻野戸の宮田、長岡団地側の上遠矢塚等他に石倉、大江等の場所があります。 古代から中世にかけ、皇室や、藤原家の荘園(皇室や、貴族の私有地)だった 「成生荘」が高木川の近くにありました。成生荘の名は「八条院領目録(八条院は、 鳥羽天皇の皇女)」(1176年)や「後宇多院御領目録」(鎌倉時代)、「当庄御政所」 に現れ、皇室の領地の中で、重きをなしていたことがわかります。貴族の力が衰え ると皇室の領地になりました。 鎌倉時代になると、幕府は御家人である有力な武士を、地頭とし各地に派遣する ようになり、関東の武士たちが住みつくようになります。 平安時代初めころから、仏教が信仰されるようになり、860年慈覚大師により山寺 立石寺が開かれ、若松寺は山寺を中心に広がっていきました。室町から江戸時代 の納札が残っていて、遠く三重県からも広く参詣人がいることがわかっています。 |
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佐賀 | 佐賀の幕末維新 八賢伝 |
1600年関ケ原の戦いの後徳川家康は、江戸(東京)に幕府をひらき(265年間)、大名 が藩をおさめる体制をととのえました。鍋島家(肥前佐賀藩)は外様大名で区別され、 政治・軍事・経済など徳川家と譜代大名が中心におこなわれました。第三代将軍家光 (江戸時代)は海外貿易を禁じ、朝鮮国の通信使が対馬に来ること、清国(中国)とオ ランダの商船は長崎(幕府の直轄地)だけは入港することを許されていました。経済や 文化が発展し江戸・京都・大阪は大都市となり、平和な時代が続きますが、イギリスで は蒸気機関車・鉄砲・大砲・医療が発達し、貿易の市場を求め開国をせまります。1850 年前後アメリカの捕鯨船も日本近海にあらわれ港を必要としていました。1837年アメリ カのモリソン号は、7人の日本人漂流民を江戸湾にとどけるために入り、砲撃を受ける 事件など起こり、1854年ペリーが黒船をひきいて再度来航、開国の決定をしますが、 1869年江戸幕府は終わりとなります。 |
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佐賀県 白石市有明町 |
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和歌山 |
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紀伊半島の和歌山県・三重県の南部は昔から熊野と呼ばれ、熊野三山(本宮大社・ 速玉大社・那智大社・青岸渡寺)は、2004年世界文化遺産に指定されました。 熊野水軍は源平合戦で大活躍し、日向を出発した神武天皇(紀元前711年〜紀元前 585年)が大阪湾を南下し熊野村に上陸し東征したと古事記・日本書紀に書かれてい ます。海洋民族が暮らし、楠・杉などの船材が豊富で、江戸時代には、大阪から江戸 への海上交通として、最南端の串本町・古座町は発展していきました。 異国船の海防には狼のフン・赤松(肥松)を利用し狼煙を上げようと考えていたことが、 海防責任者古座 浦組の大庄屋・橋爪周輔から伝えられています。ミカンで有名な有田 (清水)に「宮原組宮崎狼烟・御入用狼糞拾い人別名前帳」など狼糞に関することが古 文書に書かれているそうです。ペリー来航より62年前アメリカ商船(銅・鉄・火砲毛皮等 )2艘が天候不良のため11日間停泊し、古座組の通訳官・玉川養浩医者が対応、その 間島民を接待しています。紀州藩祖・徳川頼宣により海防組織・浦組が創設され、 海岸 線の主要出崎に見張り番役人を置き、出雲崎には「出雲崎狼煙場」を設け ました。 大島・潮の岬上野遠見番所は、摂津兵庫(神戸)から酒・綿・塩・線香を奥州南 部宮古へ輸送中遭難(1841)し、異国船に助けられ、カリフォルニアの地を踏み 5年後に貿易船で長崎に入津し、アメリカ語を話せる井上善助・水主堀弥市を 異国船対策として役人を努めました。土佐の漁師・万次郎も(1841)仲間と遭難、 アメリカの捕鯨船に救助され10年間勉学に努め帰国、活躍をする。 江戸時代(1768)串本町に病狼が出没、明治時代半ばからは原生林の伐採が 本格化されました。
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